意見陳述書 兼城賢清

 

 私は、沖縄市に住む兼城賢清です。大正5年生まれ、満90歳になりました。

 私は、泡瀬干潟を守る連絡会が結成された2001年1月からこれまで、干潟を守る運動にずっと関わってきました。集会、観察会、住民投票条例制定の署名活動、シンポジウム、裁判等にずっと参加してきました。これからも健康に気をつけながら、干潟を守る運動に関わっていきたいと思います。

 私は、15歳から26歳の頃まで、比屋根に住んでいました。戦前、昭和初期のことです。場所は、今の沖縄県泡瀬総合運動公園陸上競技場の前の駐車場になっているあたりです。私たち家族は、目の前が干潟でしたから、そこで採れる海産物で育てられました。母は、畑仕事の合間に干潟に出かけ、貝、カニなどを採ってきて食事を作りました。夏場はほとんど毎日のことでした。私も、毎日のように干潟に出かけ、海水浴、潮干狩りをしました。泡瀬干潟は、今でも貝類の種類、量も多いところですが、昔もそうでした。キブヤー(ケマンガイ)、ティラジャー(マガキガイ)、アカガイ(リュウキュウサルボウ)、アサリ、ハマグリなど沢山採れました。泡瀬干潟は私たち家族を育てた命の海でした。私たち家族だけでなく、泡瀬干潟周辺に住んでいた人々は、ほとんどが、干潟の恩恵を受けています。戦後、食糧難の頃は、ことさらに、泡瀬干潟で採れる海産物が命の糧であった人は、沢山います。

 現在、沖縄沿岸の干潟はほとんど埋めたてられ、あるいは赤土汚染で駄目にされ、唯一残っているのは泡瀬干潟だけです。そこは、沖縄市民だけでなく、遠く、北谷、具志川、那覇あたりからも潮干狩りの場所、貝を採って業者に売りに出す人の生活の糧の場所になっています。

 しかし、埋め立ての工事が始まってから、貝が採れなくなった、イイダコ(シガヤー)が取れなくなった、と多くの人が言っています。これ以上工事がすすめば、泡瀬干潟は貝などの海産物が採れない場所になってしまいそうです。私をはじめ、多くの人の命を育てた泡瀬干潟がなくなることを、そのまま見過ごすことは出来ません。私たちの宝、世界の宝を子々孫々まで残したいと思うのは、私一人ではありません。貴重な干潟が消えていくことは本当に悔しいことです。

 私は、干潟でよく遊んでいましたから、海草のことも気になります。埋め立ての前提として大型海草移植をすることになっていますが、今のところ大型海草移植は成功していないようです。私は専門家ではありませんが、大型海草移植は難しいと思っていました。干潟で遊んでいた経験から、干潟は場所により海水温度、潮の流れ、底質が異なり、海草が生える場所と生えない場所があることが分かっていました。海草が生えていないところは、それなりの理由があり、そこに移植しても海草は生きていかれないのです。2006322日、参議院・環境委員会で、環境省が「海草移植は確立されていない」と答弁していますが、やはりそうか、と思っています。

 最後に経済的なことも心配です。埋め立て後、沖縄市は90haの土地を購入し、インフラ整備のあと立地する企業に売る、ということになっていますが、果たしてホテルなどの企業が来るのでしょうか。県知事が任命した外部監査人も「報告書」で「需要予測が甘い、土地利用計画も抽象的」と指摘しています。市民が借金を背負うことになるのではないか、心配です。今度の市長選挙で、現市長の後継者とされる候補者が「埋立地にF1レースを誘致する」と有権者にアピールしているのを新聞で見て、ビックリしています。海洋リゾート計画が実現できなくなり、計画が変更されたのでしょうか。土地利用計画がほんとうに出鱈目なのです。

 世界に誇る貴重な泡瀬干潟を子々孫々まで残してほしい、私の切なる願いです。裁判官の公正・公平な判断をお願いいたします。